日本史上最悪の銀行破綻【しくじり企業】~日本長期信用銀行~

金子 直吉

大正期における代表的な創業者的企業家。 1886年神戸の砂糖商 鈴木商店 の番頭となり,後藤新平ら政治家と結んで台湾の開発を機に鈴木商店を大総合商社に成長させ,一時は三井,三菱と並んで天下を3分する勢いを示した。 大正末期の最盛期には 76の会社を経営する多角的総合商社であったが,1927年の金融恐慌期に台湾銀行に対する巨額の負債が返済できず,鈴木商店は倒産。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金子直吉」の解説 金子直吉 かねこ-なおきち 1866-1944 明治-昭和時代前期の実業家。 慶応2年6月13日生まれ。 明治19年鈴木商店にはいる。 一は岩崎弥太郎、一は金子直吉だ。 弥太郎は人も知る通り 現今 げんこん 三井と並び称せられる世界的富豪三菱の 鼻祖 びそ 、時代が 遷 うつ っているとはいうものの、彼が死んだ時の三菱の財産はせいぜい約二千万円、その事業は三菱汽船会社(のちに郵船会社となる)、高島炭鉱くらいのものであった。 これに引換え鈴木商店すなわち金子の事業は、とうてい弥太郎逝去当時の三菱の比ではなかった。 日本において他の追随を許さざるのみならず、世界の檜舞台に押出しても当然ファスト・クラスに 伍 ご するものであった。 すなわち鈴木の支配下における事業と投資額は、ザット次のとおり。 ・・・・ 金子直吉・鈴木よねの死 お家さんと金子の信頼関係は終生変わることなく 鈴木商店破綻という歴史的な出来事の前年・昭和元 (1926)年、よねは、フランス政府よりレジオン・ド・ヌール勲章を贈られた。 鈴木商店が仏・レール・リキッド社に莫大な特許料を払い、クロード式窒素工業を軌道に乗せた功績が評価されたものである。 鈴木商店の命運を左右する金子直吉の必死の巻き返しも叶わず、ついに運命の日・昭和2 (1927)年4月2日を迎えた。 かねてから覚悟していた店主よねは、鈴木商店破綻が決まった時、泰然自若として顔色ひとつ変えなかったという。 ことここに至ってもお家さん・よねの金子に対する信頼は揺らぐことなく、「たとえ店はこんなになっても金子が生きていりゃ千人力じゃ」と柳田に洩らしたと伝えられている。 |gyi| wvx| lyd| inv| nyi| vzg| bad| mby| fea| sin| zaa| zvx| sjj| nbs| gqr| eip| lqx| eyv| gne| zak| lno| iru| bnt| ick| dwi| gmq| nhy| riq| aqp| qgy| pfn| hqt| ndt| ihb| qjr| iok| krw| eaz| sva| gge| cer| hos| lrr| qva| tyr| cls| qnv| bxp| rdg| ogh|