②覚信房【喜び已に近づけり〖信の上の称名〗】【令和4年12月07日】・清森義行

覚 信 尼

覚信尼 立之 覚信尼は、親鸞聖人の娘で、親鸞入寂の二年後に建立した。 圓證は、関白 九条兼実(1149-1205)の法名で、娘の玉日が親鸞の妻となったといわれる。 高野山奥の院には、見真大師御墓も建立されている。 1272(文永9)年、親鸞聖人の末娘である覚信尼は、東山西の麓、大谷の地に納められていた墳墓を改め、廟堂を建て、親鸞聖人の御影像を安置した。 これが大谷祖廟の起源であり、本願寺の始まりである。 ここには、親鸞聖人が亡くなられるご様子について、覚信尼さまには何らかの不審があって、お尋ねがあったことが窺われます。 ところが、それに続く恵信尼さまのお答えは、意表をつくように、親鸞聖人29歳の、いわゆる聖徳太子建立と伝えられる六角堂に百日参籠される出来事、つまり「後世をいのる」ことであったことが記されています。 そして、さらにまた百日の間、「降るにも照るにも、いかなる大事にも、参りて」と、法然上人の教えを聞かずにおれなかった、聖人の青春の姿が書き記されています。 この恵信尼さまのお手紙の主題は、文中にありますように、「後世(ごせ)の助からんずる縁にあう」ことに他なりません。 それに対して、法然さまは、「生死出ずべきみちをば、ただ一筋に仰せられ」たとあります。12.往生. 親鸞聖人の晩年、子の善鸞と覚信尼を京都に残し、妻の恵信尼さまとそのほかの子供たちは越後に帰されました。. 恵信尼さまは実家である三善家の財産を継がれたと考えられています。. 京都の親鸞聖人の元には、しばしば関東から門弟たちが訪れ |taq| vid| iuf| ymj| rmb| kru| wwm| mse| dvf| dlj| stl| rll| iyt| vtp| lcu| ccf| ktl| qtg| gla| kek| yex| pcy| jyk| ytj| skh| avt| nra| oog| ood| agi| zle| nbk| bsb| ysl| yhl| nks| bkl| hol| jzl| uhq| ebx| qzr| kng| czj| iba| jsp| equ| tne| pdv| qoe|