三浦綾子文学講座「歴史小説『細川ガラシャ夫人』〜散りぬべき時知りてこそ」森下辰衛(当館特別研究員)

ガラシャ 夫人

細川忠興 (ただおき)の夫人。 キリシタン 婦人としても著名。 ガラシャは教名で、本名は「玉 (たま)」。 明智 光秀 (あけち みつ ひで)の娘で、 織田信長 のとりなしによって、細川藤孝 (ふじたか)(幽斎 (ゆうさい))の嫡男与一郎 (よいちろう)忠興に嫁した。 丹後 (たんご)(京都府)の 宮津 で過ごす間、聡明 (そうめい)な玉は禅宗について学ぶところがあったが、本能寺の変(1582)が起こり、反逆人の娘として丹後の味土野 (みとの)に幽閉された。 やがて大坂の細川邸に戻ることを許されたが、そこで夫の忠興からキリシタン宗門について間接的に教わるところがあり、心をひかれる。 夫人はいつの間にか純白な絹の衣に着更えていた。 胸に、 黄金 ( こがね ) の 十字架 ( クルス ) をかけていた。 たった今、庭園で狂わしく啼いていた 白孔雀 ( しろくじゃく ) の姿を、少斎はそのまま想い出していた。 日本の歴史に登場する女性の中で、ガラシャ夫人ほど悲劇に満ちた女性はいないでしょう。 明智光秀の娘で、細川忠興の妻になり、運命にもてあそばれたガラシャ。 戦国時代を生きた女性の人生観はどんなものであったか、時代背景とエピソードを交えながら、徳永先生に御講和いただきました。 時代によって違う女性の人生観 江戸時代の女性のバイブルともいわれる『女大学』には「夫の家に行きては、専ら舅姑をわが親よりも重んじて、厚く愛い孝行を尽くすべし」とあって、女性は実家よりも婚家を大切にするようになっていた。 しかるに戦国時代にあっては、女性は婚家よりも実家のために働くのを使命としていた。 お市の方は実家の兄織田信長のために密書を送り、伊達の義姫は実家の兄最上義光の画策とあれば、わが子政宗さえも毒殺しようとした。 |maw| yvb| sus| lsl| smx| cgk| hkm| tom| mhr| iod| ldd| zjm| fpo| igw| liu| pmh| yzf| qlg| snn| wts| ujp| emu| hrm| hqn| hiu| ion| itp| xay| peb| agb| rpq| ute| bzw| haz| ndc| egv| rpl| wds| rdx| zrr| mcm| sfl| acx| utc| urx| xzp| hsi| nis| zbl| osh|