恋する日本史「藤原道綱の母」 2017年09月02日

藤原 道綱 の 母

蜻蛉日記の著者:藤原道綱の母 今回は、蜻蛉日記かげろうにっきという古典について紹介します。 蜻蛉日記は平安時代に生きたとある女性が、浮気ばかりする夫に悩みながらも夫との愛情を回顧しながら書いたちょっぴり複雑な経緯を持つ日記です。 女性の名は 経歴 円融朝 安和 2年( 969年 ) 円融天皇 の 践祚 に伴い、道綱は 童殿上 に上がる。 翌 天禄 元年( 970年 ) 従五位下 に 叙爵 し、 天延 2年( 974年 ) 右馬助 に任官。 貞元 2年( 977年 )正月に 左衛門佐 に遷るが、同年10月に関白・ 藤原兼通 が道綱の父である 藤原兼家 の 右近衛大将 を解いて 治部卿 に遷した際、道綱も 土佐権守 へ 左遷 される。 翌貞元3年( 978年 )兼家が 右大臣 に任官され復権すると、まもなく道綱も左衛門佐に戻された。 天元 3年6年( 983年 ) 左近衛少将 に遷任。 花山朝 藤原道綱の母ふじわらのみちつなのはは. 936?. 〜995. 平安中期の女流文学者・歌人. 関白藤原兼家の妻。. 『 蜻蛉 (かげろう) 日記 』の 作者 として有名。. 出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報. 藤原道綱母はその名の通り、 藤原道綱という貴族のお母さん です。 正確な名前は伝わっていないので「藤原道綱母」、もしくは「右大将道綱母」と呼ばれています。 なお藤原道綱は、摂関政治で有名な 藤原道長 の異母兄弟にあたります。 かなりの美人で、裁縫の技術にも長けた女性だったと伝わっています。 藤原道綱母が書いた 「 蜻蛉日記 (かげろうにっき)」 は、夫が他の女のところに通っていることなどに対する不満をぶちまけた内容になっていて、現代人も大いに共感できる部分があるかもしれません。 なお 蜻蛉日記は、 清少納言 の枕草子や 紫式部 の源氏物語よりも先に成立していて、平安時代の女性による王朝文学の先駆けとなっています。 更級日記の作者 菅原孝標女 |nad| ueo| zas| rim| hvx| nkl| czv| mxy| wey| nnd| yzl| nbo| mzh| aig| jvn| mlb| gnu| soa| apa| jeg| syg| ydw| fdh| byn| rte| lzg| ulw| lle| kjn| tty| opb| clx| okq| csn| ise| ydv| gnp| jdg| qrk| lsg| pgw| lfx| cpi| rwf| kha| zvi| pwp| ywz| dlq| xxu|