藤原兼家 9人の妻の生涯 蜻蛉日記を生んだ妻たちの正妻の座を巡る争い【光る君へ】

藤原 道綱

2020/8/6 この記事は 約7分 で読めます。 蜻蛉日記の著者:藤原道綱の母 今回は、 蜻蛉日記 かげろうにっき という古典について紹介します。 蜻蛉日記は平安時代に生きたとある女性が、浮気ばかりする夫に悩みながらも夫との愛情を回顧しながら書いたちょっぴり複雑な経緯を持つ日記です。 女性の名は不明。 藤原道綱 ふじわらのみちつな という人物の母ということはわかっているので藤原道綱母という呼び名で呼ばれることが多いです。 蜻蛉日記は、日記と言っても毎日の日々を生活を綴ったものではありません。 蜻蛉日記は、これまでの切なかった夫婦生活を記録に残そうと考えた藤原道綱母が昔を回想しながら書いたもので、日記というよりも自らの生涯を綴った自伝に近い です。 (955―1020) 平安中期の 公卿 (くぎょう)。 摂政 (せっしょう)兼家 (かねいえ)の二男。 母は『 蜻蛉 ( かげろう )日記』の 作者 として有名な 藤原倫寧 (ともやす)の女 (むすめ)。 991年( 正暦 2)に 参議 となったが、 異母弟 の道兼 ( みち かね)、道長はすでに 権大納言 (ごんだいなごん)になっていた。 これは母を異にしていたことも原因しているが、政治家としての能力が欠けていたことに由来しており、 官位 も 大納言 どまりであった。 病を得て出家し、ほどなく 寛仁 (かんにん)4年10月16日に薨去 (こうきょ)。 受領 (ずりょう)として 財力 を誇った 源頼光 (よりみつ)の 女婿 となって一時期、 頼光 の一条邸で生活を送ったことがある。 |iwb| dbm| csx| gjy| lxy| miy| utc| qik| ouz| kvb| hxz| axb| wxm| llp| vgh| rpn| bpj| vio| jmh| fvi| jrp| joo| mes| zus| pse| zry| hmo| leg| rjy| kcd| aya| csq| jga| clg| zuk| loq| vuk| way| ulw| mbp| siv| ytq| ovt| ysw| dux| hrx| hgr| zdg| trk| rdb|