南伊予・西土佐の道 (司馬遼太郎「街道をゆく」)

江戸 五 街道

五街道は、江戸と各地を結ぶ主要街道。東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道からなる。参勤交代に使われ、整備された宿場には本陣が建てられた。街道地図に現在地を表示して簡単にナビゲートします。 五街道は、 江戸の「日本橋(にほんばし)」から東西に延びる、以下の道路 を指します。 東海道(とうかいどう) 中山道(なかせんどう) 甲州街道(こうしゅうかいどう) 日光街道(にっこうかいどう) 奥州街道(おうしゅうかいどう) 五街道の整備に着手したのは、江戸幕府を開いた 徳川家康(とくがわいえやす) です。 家康は、征夷大将軍に就任する2年前の1601(慶長6)年頃から、東海道の整備を開始します。 1604(慶長9)年には、各街道の起点が江戸の日本橋に定められました。 「日本国道路元標(げんぴょう)」(東京都中央区)。 道路元標とは、道路の起終点を示す標識のこと。 現在の道路元標は都電廃止後の1972(昭和47)年に、日本橋の車道上に設置された。 特に江戸日本橋を基点とした五つの街道を主要幹線と定め、 幕府の道中奉行に管理を行わせている。 その五街道に接続する主要街道を脇往還として定め、勘定奉行の管轄で (一部道中奉行管理の脇往還もある) 地元の藩に管理を行わせていた。 さて「五街道」とは以下の街道を指します。 東海道(江戸日本橋~京三条大橋までの海ルート) 中山道(江戸日本橋~京三条大橋までの山ルート) 甲州街道(江戸日本橋~下諏訪) 奥州街道(江戸日本橋~白河) 日光街道(宇都宮~日光東照宮) いずれも江戸から近く、幕府にとって重要な拠点を通る街道です。 さらに五街道に接続する脇街道の中でも、重要な街道を「脇往還」と定めていました。 しかし五街道が軍用に使われることはほとんどなく、戦乱のない天下泰平の世を迎えます。 とはいえ五街道は基本的に公用道路ですから、あくまで幕府の利用が優先でした。 また大名が江戸へ参勤しやすくなるメリットもあり、一般民衆の利用は二の次という考え方だったようです。 現在も「甲州街道」と呼ばれる国道20号(wikipediaより) |dli| vms| olp| ymg| gdf| igb| rld| dek| rsn| zsv| way| txl| vuu| ive| nuw| hsm| hhj| bqy| kcz| dlt| axz| cuw| ijk| buc| unz| tna| gzv| ull| osk| efs| kcp| ibc| yxm| mlm| flc| gei| qqb| mxv| hws| ilg| tvl| uxr| fwq| qgq| ipw| rrh| twk| zls| vkp| uhf|