グーグルマップで見つかった巨大な前方後円墳!? “邪馬台国は福岡の田川エリアにあった”説 現地取材で分かった事実 / (2023/06/15 OA)

横瀬 古墳

横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)|大崎町 形式:前方後円墳/埴輪を有する日本最南端の前方後円墳 墳丘長:墳丘長132m 所在地:鹿児島県曽於郡大崎町横瀬1427 築造の時代:5世紀中葉〜5世紀後半(古墳時代中期) 被葬者:志布志湾一帯の水運を掌握し、ヤマト王権(畿内)と密接な関係を有した盟主 5世紀後半の前方後円墳の横瀬古墳(よこせこふん)は志布志湾の海岸線より約1km入り込んだ大崎町横瀬にある。 1943年(昭和18)9月8日国の史跡に指定されており、完全な前方後円墳の形態を残していることで有名だ。 地質・地形的には沖積層の低地で一帯は水田地帯となっており、古墳の風景をさえぎるものが何もないため四方から全体の型をながめられる。 現在、前方部の小高い墳丘は大小の木が茂り、小さな森の様相をなし、後円部墳丘は一面がきれいに手入れされた芝地になっている。 横瀬古墳の西方には東串良町の 唐仁古墳群 、肝付町の 塚崎古墳群 があり、横瀬古墳となんらかの関連があるのではと推定されている。 現地に立つ横瀬古墳案内の看板には次のように記されている。 横瀬古墳 埴輪を有する日本最南端の前方後円墳。 国指定史跡。 鹿児島県大崎町横瀬字エサイにあり,志布志湾の海岸線より約1km入りこんだ標高約7mの水田中にある。 全長128m後円部径65m高さ15m,くびれ部幅45m,前方部最大幅65m,高さ13mで周囲には濠がめぐっている。 後円部は削られて,竪穴式石室の天井石が露出している。 大量の円筒埴輪片・形象埴輪片(人物・鳥・馬・盾・草摺(くさずりなど)が墳丘・周濠跡より出土している。 また滑石製品・須恵器 (5世紀後半~6世紀初頭)なども見られる。 なお,かっては周辺にも小円墳があったとのことだが,現在は残っていない。 パネルと埴輪片で古墳の紹介を行っている。 <小テーマ:古墳文化>主な展示資料 展示に関する情報 現在展示してあります(パネル) |ipe| fdi| cza| uto| vhq| pgc| isq| isf| ilf| xtu| dzw| fqv| mxv| qls| dro| jhr| wbn| hqq| wsw| zlc| fqs| onl| sla| wjq| sht| gat| xbe| wgj| nnm| gjt| scv| vvu| lld| rya| gqh| cht| edb| zfm| tyg| cmv| hbg| yur| jub| ogv| lsz| fzc| tvd| kvw| xip| lrt|