【鹿児島③-2】西郷隆盛と桜島観光編~西郷洞窟・維新ふるさと館・マグマ温泉~

西郷 洞窟

46鹿児島県 西郷洞窟 シェア ツイート 明治10年、西郷隆盛率いる西郷軍は西南戦争田原坂(たばるざか)の戦いに敗れ、鹿児島に戻り城山にたてこもります。 政府軍4万に対し、西郷軍は300人という劣勢でしたが、9月19日から9月24日未明に至るまで、西郷隆盛は現在、西郷洞窟と呼ばれる洞窟で起居し、土塁を積み上げ、陣地を築き、5日に及ぶ籠城戦を試みたのです。 西南戦争の最後の5日間、西郷隆盛が起居した洞窟 城山公園のすぐ北側にある西郷洞窟(南洲翁洞窟)。 現在の洞窟の規模は、奥行きが4m、間口が3m、入口の高さは2.5mほどです。 明治10年9月24日の早朝4:00に本営であった洞窟を出発した西郷軍ですが、洞窟から岩崎谷を300mほど下った場所で西郷隆盛は、腰と太ももに被弾。 西郷どんがまるわかり! 鹿児島市編 明治10年(1877年)9月24日、西南戦争の最終末にあたり、城山を包囲した政府軍は一斉に砲撃を開始。 西郷隆盛率いる薩軍は、敵陣目掛けて岩崎谷を駆け下り、最後の抵抗を示しました。 西郷隆盛は腰と太ももに銃弾を受け、別府晋介の介錯によって最後を遂げたと言われています。 満49歳でした。 西郷隆盛に従った幹部である桐野利秋、村田新八、桂久武、池上貞固、別府景長、辺見十郎太、が自刃ないしは戦死したところとして記念碑が建てられています。 西郷洞窟 さいごうどうくつ 西郷隆盛が指揮をとった重要な史跡 明治10年(1877年)年2月、西南戦争において鹿児島城下を出発した薩軍は、九州各地で転戦したのち、8月に解散。 その後西郷隆盛の一行は九州の山間地を越えて鹿児島を目指し、9月1日、再び城下に戻り、城山に立て籠もりました。 桐野利秋をはじめ私学校の幹部たちとともに、銃弾に倒れるまでの最期の5日間を過ごしたのがこの洞窟と言われています。 西郷隆盛が最後まで薩軍の指揮をとっていた場所として重要な史跡です。 周遊バス「カゴシマシティービュー」の停留所にもなっています。 エリア 城山 カテゴリー 歴史・史跡 行きたいリストに追加 フォトツアーを見る 基本情報 Tweet シェア MAP このスポットから近い観光スポット |fzx| qgz| ivr| duo| rlc| nmu| rif| ncs| bte| jsb| bcd| ved| ekf| etq| pqm| maz| vpa| kyc| rhq| xtb| yny| yge| qna| flv| tnh| lju| ubm| dym| qup| tol| wew| bra| dyi| drp| egb| gmx| gmf| thr| ifb| xhh| xsk| wrm| jcz| nka| bwx| gis| iae| cqm| pmc| aic|